マジで昔のパチンコ店従業員はスポーツ選手並みの運動量だった|回顧録

2020年5月29日

ヒキヨワ
バスケがしたいです

 

ヒキヨワ(@hikiyowatenchou)です。

 

今回は昔話。

 

あまり昔話をすると若い子に嫌われるのは分かっていますけどね。喋りたいんだよオジサンは。

若い頃は上司の武勇伝聞いてる時、内心鼻ホジだったけどね。

 

まあでも武勇伝というか、温故知新というか。今のパチンコ店からは考えられない状況だった事が多いので、古きを訪ねて新しい知見が得られれば良いかなと思います。

 

 

でも流石にスポーツ選手並みの運動量は言い過ぎじゃないですか?
黒ギャル
ヒキヨワ
これがマジなんやで・・・

 

 

 

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4号機後期

昔と言っても自分は15年ぐらい前の記憶からしかありません。さらに昔の方が忙しかったとは聞いているけど、自分の入社した時も十分地獄だった。

 

時代はスロット4号機後半。吉宗・北斗などが賑わってた時代。パチンコは今では考えられない大当たり確率1/499があった時代。

 

 

大当たり確率1/499って・・・。
バイト君
ヒキヨワ
199も当てれないのに499なんて一生当たらんよ(言い過ぎ)

 

とにかく客数が多い

当時はとにかく客数が多かった。

 

今では考えられないと思いますが、新台開店日は新台に向かって全員ダッシュ。新台島は人が多すぎて通行不可能。

 

イベント時は朝から全台ほぼ満席。そこから夜までずーっと店内90%以上着席状態。

 

ちなみに地域の上位店舗はだいたいこんな感じ。中堅店舗でも今の上位店舗ぐらいの客数は居た気がする。

 

 

低価交換率

当時は今みたいに等価や55玉、56玉交換が主流じゃなかった。60玉~70玉交換のお店は普通にあったし、自分の働いている店も当時は60玉交換。

 

低価交換の何が凄いって、回るから良く当たる。当たれば店員は呼ばれる。呼ばれる。呼ばれる。

 

忙しい日はお客さんの呼び出しランプがマジで消えてなかった。

 

各台計数機なんて無い

一番大きいのがコレ。

その場で玉を計数する各台計数機なんてなかったから、お客さんの箱を変える、ジェットで玉を計数する等などがメインの仕事。

 

話は逸れるがお客さんの玉をジェットまで運ぶときに倒して、一面銀の海にする時が一番変な汗が出る。

ここ数年に入社した人は箱替えとかやった事ないと思う。

 

 

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一番忙しい方程式

玉が出る日+オール玉積み営業+従業員欠勤。この日はマジでスポーツ選手よりも運動してた自信がある。

 

早番で朝9時から開店なのに、開店前に昼ごはん食べたりしないといけない状況。

 

そこから一度も休憩に行かずに夕方まで走って、重い箱を運んで、走って、飛んで(飛びはせんやろ)

 

こんな状況だったから離職率はめちゃくちゃ高かったし、入社して10キロ痩せる人も居た。

 

でも何だかんだ楽しい!

こんなんでも楽しかったんだ!

 

インカムで連携を取りながらみんなで走ってる姿は青春時代の部活と重なる。

 

イベントの日は試合の日みたいな緊張感あったし、忙しい日が終わった後はみんなで休憩室で健闘を称えあってた。

 

だから正直今のホール状況は寂しい。

 

昔みたいに店員が走り回っているのは地域で一番入っている店で、玉積み営業を続けている店舗のみ。

 

田舎の方に行けば地域一番店でも入っている姿を見るのは稀。

 

 

最後に

パチンコ店への就職を考えている方は安心して下さい。上記で書いたような店は現在全国でも数えるぐらいしかないと思います。

 

今は昔と違い余裕のある営業ができる分、サービス面に力を入れたり、接客が良かったり。

 

昔が良かったなんて言うと老化の始まりなので言いませんが、こんな店を一つでも多く作れるように頑張ります。

 

 

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